「具体と抽象」細谷功
著者:細谷功
ビジネスコンサルタント。1964年、神奈川県に生まれる。東京大学工学部を卒業後、東芝を経てビジネスコンサルティングの世界へ。アーンスト&ヤング、キャップジェミニなどの米仏日系コンサルティング会社を経て、2009年よりクニエのマネージングディレクターとなる。2012年より同社コンサルティングフェローに。専門領域は、製品開発、営業、マーケティング領域を中心とした戦略策定や業務/IT改革に関するコンサルティング。
抽象化なくしては生きられない
「具体=わかりやすい」「抽象=わかりにくい」という印象は大きな誤解であり、「抽象化を制するものは思考を制す」と言っても過言ではないくらい抽象という概念には威力があり、具体と抽象の行き来を意識することで、間違いなく世界が変わって見える。
「具体と抽象」の比較 ※番号で特徴を対比させている
具体の特徴
- 直接目に見える
- 「実体」と直結
- 一つ一つ個別対応
- 解釈の自由度が低い
- 応用が利かない
- 「実務家」の世界
抽象の特徴
- 直接目に見えない
- 「実体」とは一見乖離
- 分類としてまとめて対応
- 解釈の自由度が高い
- 応用が効く
- 「学者」の世界
日常の中の「具体と抽象」20コ
数と言葉
抽象化を利用して人間が編み出したものの代表例が「数」と「言葉」です。例えば、マグロもサケもカツオもアジも、まとめて「魚」と呼ぶことで、「魚は健康に良い」という表現が可能になっている。
このように何気なく使っていながら、人間の知能の凄さを最も象徴的に表すのが「抽象化」である。
デフォルメ
抽象化とは一言で表現すると、「枝葉を切り捨てて幹を見ること」と言える。
一つの事象から抜き出す特徴の選別は、その時の目的や方向性によって変わる。例えば、「一人の人間」をとっても、「学生」「男性」「22歳」「体重60kgの人」「未婚者」など、さまざまな形の特徴の抽出方法がある。
精神世界と物理世界
言葉には、目に見える物理世界で用いられる場合と、比喩として精神的世界で用いられる場合があり、二つの使い道がある。例えば、「(ボールを)投げる」「(仕事を)投げる」。
物理的な実際の経験を、精神世界の感情や論理にまで延長させて、物理的な世界と応用の世界を頭の中で作り上げることも、抽象化の賜物である。
法則とパターン認識
抽象化の最大のメリットは、複数のものを共通の特徴を以ってグルーピングして「同じ」とみなすことで、一つの事象における学びを他の場面でも適用することが可能になることである。
会話の相手が怒っていたり喜んでいたりする状況を相手の表情から読み取れるのも、暗黙のうちに私たちが相手の顔の動きのパターンを読み取って判断している。
関係性と構造
抽象化は、「関係性と構造」という側面も持つ。
抽象化のツールとして、シンプルな図解があげられる。一つ一つの図形の「個性」を曲りゅおく排して、「丸」「三角」にしてしまい、それらの関係性、相対的な繋がりのみを表現することが図解の主な目的である。
往復運動
「たとえ話」は説明しようとしている対象を具体的に掴んでもらうために、抽象レベルで同じ構造を持つ別の、かつ相手にとって身近な世界のものに「翻訳」する作業と言える。
たとえ話の条件
- たとえの対象が誰にでもわかりやすい身近で具体的なテーマになっている
- 説明しようとしている対象と選んだテーマとの共通点が抽象化され、「過不足なく」表現されている
「共通点と相違点」を適切に掴んでいることが抽象化、ひいてはたとえ話の出来栄えを決定する。
相対的
何が具体で何が抽象かというのは、絶対的なものではなく、お互いの関係性で成り立つものである。つまり、「具体と抽象」は「相対的な関係性」を示す概念である。
例えば、「おにぎり」は「サケのおにぎり」を抽象化した言葉として捉えることもできるが、「食べ物」を具体化した言葉として捉えることもできる 。
本質
抽象度のレベルが合っていない状態での議論は、かみ合わず無駄な労力が使われている。
例えば、「話がコロコロ変わる」と思われている上司がいて、昨日は「Aをやれ」、今日は「Bをやれ」と部下に行ったとする。具体レベルで捉えると、ただの心変わりとみなすことができるが、この上司が常に最善の対応を考えていて、状況の変化によって対応策を変えただけであって、上司の方針は一貫している場合もある。
自由度
抽象は、「解釈の自由度が高い」ことを意味する。
自由度の高さは、「具体派」の人からすると、「だかわよくわかならなくて困る」という否定的な解釈になり、「抽象派」の人からすると、「だから想像力をかきたてて、自分なりの味を出せる」と肯定的な解釈になる。
価値観
上流の仕事(抽象レベル)から下流の仕事(具体レベル)へ移行していくに伴い、事後とをスムーズに進めるために必要な観点が変わっていく。
価値観の比較 ※番号で特徴を対比させている
上流の価値観
- 抽象度高い
- 全体把握が必須
- 個人の勝負
- 少人数で対応
- 創造性重視
- 多数決は効果なし
下流の価値観
- 具体性高い
- 部分への分割可能
- 組織の勝負
- 多人数で対応
- 効率性重視
- 多数決が効果あり
量と質
具体の世界は「量」重視であるのに対して、抽象の世界は「質」重視である。
よい抽象化の一つの絶対的な条件は、「適用できる範囲が広い」ということ。つまり、「一を聞いて十を知る」ことができる法則より「一を聞いて百を知る」ことができる法則の方が、より良い法則と言える。
二者択一と二項対立
「AかBか」というクイズは「二者択一」であり、「具体か抽象か」という相対する二つの概念を比較して考える手法は「二項対立」である。
具体レベルでのみ見ていると、二項対立も「二者択一」に見えてしまい、「世の中そんなに簡単に二つに分けられない」となってしまう。例えば、「〇〇は△△」だとい主調に対して、具体レベルでのみ捉える人は、それに対する例外事項をあげて反論する。
ベクトル
哲学、理念といった抽象概念がもたらす効果は、個別に見ているとバラバラになりがちな具体レベルの事象に「統一感や方向性」を与えることである。
組織一人一人の意思決定に、責任者が個別対応しなくても、哲学のレベルで方向性(ベクトル)が共有されていれば、個別に見える案件も全てその大きな方向性に合致しているかどうかで判断でき、効率的である。
アナロジー
アナロジーとは類推のことで、異なる世界と世界のあいだに類似点を見つけて理解したり 、新しいアイデアを発送したりするための思考法です。
斬新に見えるアイデアも、ほとんどは既存のアイデアの組み合わせであると良く言われるが、アナロジーとは「遠くからアイデアを借りてくる」ための手法と言える。身の回りの「一見遠い世界のもの」をいかに抽象レベルで結びつけられるかが、創造的な発想の根源と言える。
階層
事象を具体レベルのみで見ているか、具体と抽象を結びつけて考えているかは、500ページの本を「短時間でかいつまんで説明」してもらうと良くわかる。
抽象化の能力は、インターネット常に溢れる膨大な情報から自分の目的に合致した情報を短時間で収集したりする場面で力を発揮する。複雑に見える事象を「薄目で見る」ことで抽象化し、まずは大雑把に全体像を理解した上で、どこを詳細に考える必要があるのかを判断することができる。
バイアス
抽象化された知識や法則は、一見「高尚に見える」だけに取り扱いに注意が必要である。
例えば、文法とは、人々が話している言葉の共通ルールを明示的に言語化して、まとめたものである、つまり「具体→抽象」という典型的抽象化の産物と言える。しかし、現在、文法に合っていない表現が人々の前に現れると、それは「間違った使い方」になってしまう。文法という抽象度の高いルールで、実際の会話という具体を縛るという現象が起こっている。
理想と現実
目標設定は、抽象と具体のいずれか一方だけでは不完全である。
抽象度の高い目標ほど一般性が高いため範囲が広く、志が高いように見える(例:世界中の人々を幸せにしたい)。一方で、具体性が高い方が良くも悪くも「現実的」になる(例:プログラミングを毎日勉強する)。
この目標を「世界中の人々を幸せに幸せにしたい。だから、(〜略〜) だから、今はプログラミングを毎日勉強しなければならない」というように具体レベルと抽象レベルを階層化させ、「繋がった目標」にする必要がある。
マジックミラー
抽象度の高い概念は、見える人にしか見えない。抽象側の世界が見える人には具体側の世界は見えるが、具体レベルしか見えない人には抽象側の世界は見えないということである。
例えば、抽象画の場合、写実的な作品と違って「抽象的なメッセージ」を持つので、大部分の人は「理解できない」とその作品を否定する。
一方通行
抽象化というツールは、一度手にしたらなかなか手放すことができず、元に戻ることは難しいという性質がある。
例えば、セブンイレブンでポッキーとファンタを買った学生に、「何してたの?」とその後聞くと、「コンビニでお菓子買ってた」と言う。子供の時から、コミュニケーションでは適度に抽象化することで表現の汎用性が出ることを覚えていってしまう。
共通と相違
高い抽象度レベルの視点を持っている人ほど、一見異なる事象が「同じ」に見え、抽象度が低い視点の人ほど全てが「違って」見える。
具体の世界しか見えてない人ほど、他人に自分の話を一般化されることを嫌う傾向にあり、抽象度の高い思考回路への障害となる。
そのような人は、多種多様な経験を積むことはもちろんだが、本や映画など、芸術を鑑賞することで実際には経験のしたことのないことを疑似体験することで、視野を広げることができる。
抽象化だけでは生きにくい
抽象化能力のもたらす客観視の姿勢は、主観的な感情と衝突する。抽象化思考は、自分中心で生きようとする人間の行動を「阻害」していると言えるかもしれない。
そこで重要となるのは「抽象化」と「具体化」セットで考えることである。福沢諭吉が「高尚な理は卑近の所にあり」と言う言葉を残しているように、過去の知識や経験をつなぎ合わせてさらに新しい知を生み出したのちに、それを再び実行可能なレベルにまで具体化する必要がある。
感想
この本はよかった!!!
抽象的に感想を言ってみました。
はい、ふざけました。。ちゃんと感想言うと、二つ感想があって、
一つ目は、今僕が便利な世の中に生きてるのは、人間が具体と抽象の行き来をするという思考ができるようになったからだなと感じました。数学や物理の法則も自然現象の抽象化の一つで、その法則を使って、また新しい法則を見つけていくという繰り返しを人間が行なって、その結果、あんな重い飛行機を飛ばせたり、こんな便利なスマホができたりしてるなと思った。
二つ目に、自分は抽象的に人・物を捉えがちだなともこの本を読んで、自分を少し知ることができた。例えば、観光中に歴史の建造物を見て、友達は「ここの作りがすごーい」「ここ特徴的ー」ってなるけど、僕は自分の家と同じ「建物」にしか見えなくて、観光が楽しめない。(これはデートで彼女を怒らせるやつです)
また、人間関係もそうで、一人一人個別の実体験や価値観からその人が構成されているってわかっていても、この人はこういう人だなってパターン(〇〇な人たちの一人)と認識した上で、コミュニケーションをとるクセがついてて。。これやりすぎると、時々、人間関係に支障をきたすことを僕は自覚しています笑(笑えない)
最後に、感想をまとめると、やっぱり「この本はよかった!!!」につきます。オススメの本です。